孤児院、いじめ、鑑別所、少年院、逮捕、
留置所、拘置所、暴走族、月商10億、
タワマン、ホームレス、
これらは僕が経験したことのほんの一部。
僕ほどの波瀾万丈な人生を
送ってる人も珍しいと思う。
Xでは全く自己開示してこなかったから、
今回ノリで始めてみたブログで、
ちょっとずつ
僕のことを知ってもらえたら嬉しい。
僕のストーリーを通して、
みんなに希望を与えられたら
僕としても書いた甲斐がある。
ただ、ちょっと刺激強めだから、
僕のことを知って、
幻滅しちゃう人も出てくるかも。
その覚悟を持って、
ここでは赤裸々に書いてくね。
僕は生まれた時から親がいなかった。
物心ついた時には孤児院にいて、
同じ境遇の親がいない
子供たちと一緒に育った。
自分と同じくらいの
年頃の子供たち10人くらいで
狭い畳の部屋でお絵描きして遊んだり、
公園で泥団子を作ったりしたのを
今でも覚えてる。
僕にとって親というものは
いないのが当たり前。
世界とはそういうもの
だと思っていたが、
初めて、
施設の職員の人に外に
連れ出してもらった時に真実を知った。
世の中の子供達には
お母さん、お父さんが
当たり前のよういて、
幸せそうにしているということ。
自分と同じような子供をみた時に
どうやら自分は普通ではないらしい
ということに4歳くらいの時に
幼いながら、気付いた。
施設で遊んでる時は
寂しさを紛らわせていたが、
寝る時に寂しくてよく、
布団の中で1人泣いていた。
胸が締め付けられそうな感情、
苦しくて、
でもどうしようもできなくて、
この苦しみの正体がなんなのかも
当時は理解できていなかった。
今でこそ僕は自責思考が大事!
全部自己責任でしょ!
みたいな発言をしているが、
この世界には自分の力だけでは
どうすることもできない
理不尽があることも知ってる。
だから、
僕はせめて自分についてきてくれた
人たちだけは絶対に救いたい
という覚悟と信念を持って
ウタとして活動してる。
それは生まれた時から不自由な環境で
親の愛情を知らずに育ったから
仲間や家族みたいなのに憧れがあって、
そういうのを作りたがっているのだと思う。
こんなこと表では言ったことないし、
改めて言語化してみると恥ずかしいねw
孤児院という狭い世界の中だけで
一生、食べて、遊んで、寝て、
寂しさを紛らわせながら、
生きていくのかぁと
当時思っていたから、
その先の見えない感じに怯えていた。
みんなには明るくて
楽しい未来が待っているのに、
自分には何もないし、
未来に希望もない。
そういう
未来への絶望が一番辛かった。
暖かい家庭に生まれた子供たちは
楽しそうにしてて、
ショッピングモールで
ケーキを買ってもらったり、
ゲームセンターで遊んでいたり、
お父さんに肩車してもらっていたり
する姿が眩しくてしょうがなかった。
自分はそんな普通の幸せすらも
享受できないで、
一生を終えるのかと思うと、
涙が止まらなかった。
世界は理不尽で残酷、
そう思わざるを得なかった。
孤児院にいるときは体感時間が長くて、
外で幸せそうな子供を見ると、
比較してしまい、
自分という存在がみじめに
見えるのが本当に辛かった。
そんな幼少期、
特に楽しい思い出もなく、
かごの中の鳥として過ごしていた
僕にも人生の転機が訪れる。
小学校に上がるタイミングで
母親が孤児院に迎えにきたのだ。
ようやく僕の人生も
ここからいい方に回り始める、
孤児院を出た時に
そういう期待を持って、
内心ニヤニヤしていたし、
本当に嬉しかった。
ようやく救われる。
やっぱ、神様っているんだ。
そう、思ったのも束の間。
僕の希望は一瞬で打ち砕かれる。
どうやら、
母親は僕のことが好きで大切だから
迎えにきたというわけではなく、
なんらかの大人の事情があり、
迎えに来ざるを得なかった
という様子みたいだ。
生まれて初めてみる母親は
想像していた母親の姿では全くなかった。
憧れていた暖かい家庭も
母親が作ってくれる料理も僕にはなかった。
母親は基本、家にいなく、
たまに家にいると思いきや、
知らない男を家に連れ込み、
僕には全く見向きもしてくれなかった。
ご飯を食べるというより、
机の上に置かれていた500円を握りしめ、
カップ麺やお弁当を買い、
飢えを凌いでいた感じだ。
これなら孤児院にいたほうがマシだ。
本当にそう思わざるを得なかった。
孤児院にいるときは
まだ施設に友達はいたので、
1人ぼっちということはなかったが、
外に出てから小学生に上がるまではずっと1人。
家にいると、
苦痛でしょうがなかったから、
学校で友達を作って、
なるべく家に帰らないようにしよう、
小学校の入学式でそんなことを
考えながら校歌を歌っていた。
入学式なのに、僕だけがお祝いされていない感覚。
母親は式にもこなかったので、ソッと1人で帰った。
明るくて、楽しい、
小学校生活を夢見ていたが、
ここでも僕の儚い夢は砕け散る。
昔の僕は気が弱く、
大人しい性格だったため
小学校に入ると同時にすぐにいじめに遭った。
それも殴られる、蹴られる、笑われる、
無視される等のよくあるいじめではない。
バッタやセミを口の中に突っ込まれ、
噛んで飲み込まなければ、
集団リンチを受けていた。
もちろん、生きた虫なんて
飲み込めるわけがないので、
口に突っ込まれるも飲み込めずに
嗚咽していたわけだが、
その度に、サンドバックにされ、
身体は常にあざだらけという小学生活だった。
それでも母親は心配するどころか、
僕がいじめられていることに
気付いてすらいない様子だった。
正直、小学校までの僕の
人生にいい思い出は1つもない。
物心ついた時は孤児院にいて、
母親も自分に無関心、
学校では壮絶ないじめ。
給食費も払えず、
修学旅行にも僕だけ行けなかった。
いや、どうせ行っても楽しくないし、
これは不幸中の幸いか。
遠足や運動会、修学旅行など、
みんなが楽しみと言っていたイベントは
僕にとっては地獄のイベントだったため、
全て体調不良と嘘をついて欠席した。
この世は地獄だ。
そう思わざるを得なかった。
生きてても何も楽しくないし、
いつになったら死ねるんだろう
と何度思ったかわからない。
死にたいという感情と同時に
「なんで僕が死ななきゃいけないんだ?」
という感情も湧き上がってきた。
どうせ、このままいじめられ続けて、
僕だけが死ぬくらいならコイツらを
殺してやるといじめられてきた奴らを
殺すために極真空手を習い始めた。
ここが1つ目の人生のターニングポイント。
誰も助けてはくれないし、
自分が強くなる以外に道はない。
そう世界に絶望し、
悟った時、本当の僕は目覚めた。
極真空手の練習はキツいし、
痛かったが、学校で受け続けてきた
いじめに比べればこんなもの屁でもなかった。
みるみる自分が強くなってくる感覚に震えた。
努力は必ず報われるということを
実感した初めての経験だった。
そして、気が付いたら、
僕は学校の中で最強になっていた。
中学校に上がると、
小学校でいじめてきた奴らを
3人同時に相手にし、
1人で半殺しにしてやった。
今までの恨みを晴らすために
これまでかってくらいに殴り続けた。
顔の形が変わるまでボッコボコにした。
理性が吹っ飛んでいたので、
この時は本当に殺す気だった。
あまり記憶はないが、
夢中で殴り続けてた
僕を誰かが止めてくれたらしい。
おかげで、僕は捕まらずに済んだし、
彼らは死なずに半殺し程度で収まった。
その事件から誰も僕に逆らわなくなり、
中学校時代の僕は王様になった。
また、
強くなるとカーストも上がり、
モテるようにもなった。
小学校の時はあれほどキモがられ、
僕をゴミ扱いしてきた女子たちが
僕に媚を売るようになり、
モテるようにもなった。
この時に、なんとなく世の中って、
強いものが掻っ攫っていくんだな
ということに気付いた。
あれほど怖かった女子たちも
単純なんだなと思った。
中学時代、
僕はスクールカースト頂点で、
最強だったが、人をいじめる
ということだけは絶対にしなかった。
僕は元々、スクールカースト最底辺。
人の痛みは誰より理解してる。
だから、
人の気持ちを理解できずに
軽はずみに人をいじめよう
とするやつはカースト上位層
だろうと容赦はしなかった。
僕はいじめをする連中に喧嘩を売って、
積極的に弱い立場にいる人間を守っていた。
周囲にはヒーロー気取りと
思われたかもしれないが、
弱い者出身だったから
こそわかる痛みがある。
世界から孤立し、
物理的にも暴行を受ける。
いじめを受けたことがある
人にしかわからない痛みだ。
僕は中学時代、不良だったが、
正義感は人一倍強い
という割と珍しいタイプだった。
喧嘩はするけど、
自分より強そうな人とやる。
弱いものには絶対に手を出さない、
そこは徹底していた。
そうやって、
学校の秩序を守りつつ、
僕は王様のまま平和な中学生活を終えた。
中学卒業後は高校には行かず、
暴走族の特攻隊長をやっていた。
毎日、夜道を走り回り、
目標も夢もない仲間たちと
グータラ過ごして、時間を消費した。
コンビニで溜まり込んだり、
ラウンドワンに行ったりして、
毎日毎日惰性で過ごしていた。
仕事に関しては鳶職をやったり、
警備員、工事現場とバイトをしたが、
社会不適合者すぎて、
どれも全く続かなかった。
地元では割と有名な
暴走族だったこともあり、
元々マークされていたのか、
ある日、
深夜に暴走行為を行なっていたら、
警察に囲まれ、一斉に50人近く
自分を含めたメンバーが逮捕された。
詳細は省くが、鑑別所4回、
少年院2回に僕は入ってる。
今思えば、割と筋金入りの不良だった。
幼い頃感じていた孤独は暴走族という
居場所のおかげで
気が付いたら解消されていたが、
それだけで人生うまくいく
ほど甘くはなかった。
結局、お金を稼ぐ力がないと、
やりたいこともできないし、
仲間たちを守ることもできない
ということも同時に思い知った。
少年院に合計2年近くいて、
流石に堪えた。
中卒でかつ小学校も中学校も
ロクに勉強していない僕は
王道のルートで成り上がることは
まず無理だと悟った。
「社長になって成り上がるしかない」
幼いながら、
当時、18歳の僕はそう決意した。
起業して最初に取り掛かった
ビジネスはモバオクというもの。
今でいうところの
メルカリビジネスみたいなものだ。
安く売って、高く売る
というシンプルなビジネスモデル。
うまくいってる人の
見様見真似でやってみたが、
やればやるほど赤字になり、
全然うまくいかなかった。
物販系は資金力が大事になってくるが、
当時の僕はお金がなく、
明らかに不利なビジネスモデルだった。
3ヶ月くらいやってみたが、
ちっとも稼げず、
他に稼げそうなビジネスも
思いつかなかったので、
一旦、稼げそうという短絡的な理由
からホストをやってみることに。
これがまさかの大当たりで、
1ヶ月目からNo.1になり、
お酒は飲めなかったので、
シャンパンの代わりに牛乳タワー
という斬新な形で
月1000万円プレイヤーになった。
当時、
割と有名なホストだったので、
今でも検索すれば出てくる。
気になる人はオフ会など会った時に
聞いてくれればこっそり教える。
初めて稼ぐ大金だったが、
別に舞い上がることはなかった。
ホストはやりたいことではなく、
ずっとはできない仕事だ
ということもわかっていたので、
そこそこ稼いで、
資金が貯まったタイミングで辞めた。
多分、1年くらいしかしなかったと思う。
どうしても
ビジネスの世界で勝負してみたかった。
これからなんのビジネスやろうかな
と考えている時にたまたま知り合いの
ツテで紹介してもらった社長さんが
商品を貸してくれる
ということを言ってくださった。
この社長さんとの出会いが
2度目の人生のターニングポイント。
当時の僕ができるビジネスは
モバオクしか思いつかなかったから、
商品を貸してくれるというのは
願ったり叶ったりの話なのだ。
在庫で赤字が出る可能性のある物販で、
売れたら商品を発注するという形でいいと、
その時の社長さんが言ってくれたので、
赤字リスクが完全に0になった。
その社長さんには
今でも頭が上がらない。
やはり、
人生の転機は人との出会い
によって起こるんだなと。
その社長さんと出会っていなかったら、
今の僕はいないし、
今頃どうなっているか本当にわからない。
あとは途中でモバオクでの
抜け道的なのがわかり、
そのモバオクビジネスで
僕は3000万円ほど儲かった。
僕の師匠とも言える
その社長さんとの人脈で、
いろんな業種の成功者にも
お会いすることができて、
何者でもなかった僕に
少しずつ人脈というものができ始めた。
そして、時を経て、
ネオヒルズ族全盛期の
情報商材屋の裏側に僕はいた。
与沢翼の側近の方が仕掛ける
ローンチの裏側に入り、
1ローンチ5〜10億稼ぐビジネスを
間近で見させてもらった。
こんな世界があるのかと。
震えた。
美しいビジネスモデルか?
と言われたら、
全然そうじゃなかったが、
港区タワマンで毎日美女をハベらせ、
シャンパンの雨が降り注ぎ、
1夜にして大金が動く世界を
間近で見せてもらった
僕は感覚がおかしくなっていた。
お金を稼ぐことなんて
おしっこよりも簡単だと思えた。
ネオヒルズ族との出会いにより、
お金を稼ぐマインドブロックが
完全に外れた僕は自分で
出会い系サイトの事業を立ち上げ、
最高月商10億を達成させるまでに成長させた。
さらに、
アダルトDVD複製事業では
日本1のサイトを運営し、
月商3〜5億を売り上げるまでに。
当時の僕は自分が世界を
支配しているような感覚だった。
僕がちょっと動けば大金が生まれる。
お金稼ぎはイージーゲーム。
人生なんてチョロい。
これから何百億、何千億と
仲間と共に生み出していき、
大富豪に成り上がっていく。
つもりだった、、、、
その夢は一夜にして、崩れ去る。
「ガシャン」という物音と同時に
20人ほどの警察官が
僕の事務所に入ってきて、
僕も含め、
従業員も全員逮捕されたのだ。
当時の僕がやっていたビジネスは
アダルトジャンルの非常にグレーな
領域のビジネスで、
今ほど法の知識もなかったため、
リスクヘッジを全くしていなかった。
僕が呑気に豪遊していた裏側で
きっちり警察にマークされていたのだ。
調子に乗っていた矢先、
出鼻をくじかれた。
逮捕された時に
現金で5億ほど没収された。
すでに億万長者だったし、
今後、自分がお金に困ることは
一生ないと思っていたが、
一夜にして僕はタワーマンション
住みの富豪から
無一文のホームレスへと転落した。
留置所、拘置所と合わせて
4ヶ月ほど拘留されたが、
この4ヶ月は
2年間の少年院よりキツかった。
少年院はまだ同じ境遇の
仲間と過ごせたり、
刑務作業で気が紛れるから、
意外と入ってしまえば慣れるものだ。
しかし、
留置所、拘置所に合わせて4ヶ月間、
独房に閉じ込められて、
誰とも会話しないとなると、
流石に頭がおかしくなり、
気が狂いそうだった。
子供の時に体験した孤児院や
小学校の時に感じていた孤独とは
また別ものの世界から
たった1人隔離されて、
精神が壊されていくあの感覚。
あそこに何年もいれる人は
本当にすごいと思う。
僕は4ヶ月が限界だった。
ちなみにこうして書いてる今も
執行猶予期間はあと少し残っている
から実はそんな昔の話ではない。
4ヶ月独房に閉じ込められると、
流石にいろんなことを考えた。
自分だけ美味しい思いをする
ビジネスはうまくいかないこと、
情弱狩りビジネスは
各方面からヘイトを買うこと、
一線を越えると全てを失うということ
塀の中で色々と考え、
次にビジネスをやるときは
上記に挙げたことは絶対にやらない
ということを誓い、
もう一度0から
絶対に這い上がってやるという
決意を密かに固めていた。
が、現実は甘くなく、
シャバに出ても無一文のホームレス。
タワマン生活の時からの落差が激しく、
やる気も気力もなく、
しばらくは絶望していた。
ガチの無一文だったので、
今日の飯を確保することすら厳しい状況だ。
ダラダラとできる余裕もなく、
先輩の家に居候しながら、
派遣工場でバイトしたり、
畑を耕したりしていた。
1ヶ月くらい惰性でバイトしつつも、
こんなことしてても一生、
生活は変わらないし、
お金持ちになるなんて夢のまた夢だ
ということを悟り、
再びビジネスを開始することに。
その下積み時代も昔、
Xでも投稿していた。
Xで活動を始めた初期は
派遣でバイトしてたのだが、
その時はお金も時間もなかったため
費用対効果が抜群である
裏垢のノウハウを派遣バイトの
隙間時間に色々試しながら頑張っていた。
深夜朝方まで派遣工場の
ベルトコンベアの前で
働かされていたので、
毎日ふらふらになりながら、
裏垢を実践していたのが懐かしい。
正直、クソキツかった。
でも、お金も時間もないから
アダルト業界で培った知識を活かして
裏垢でタネ銭を作るしかない
と奮起して、文字通り命を削って頑張った。
元々、アダルト業界で
日本1のサイトを運営してたり、
出会い系サイトでも億単位の
お金を動かしていたことから
実績を出すまではかなり早かった。
というか、
圧倒的な後発からごぼう抜きで
業界のトッププレイヤーとなった。
あまり知られていないが、
僕の裏垢の実績は業界トップクラスだ。
コンサル生たちには
色々話しているため、
その実力は周知の事実なわけだが、
表ではほとんど言っていないため
ちょっと裏垢やってる
程度に思われているだろう。
僕が表で裏垢をゴリ押し
していないのは今の僕にとって、
裏垢は複数ある収入源の
うちの1つに過ぎないから。
僕のウタ垢のコンセプトは
よろず屋であり、
多種多様なマネタイズ方法を用意し、
コンサル生に合わせて
提供するようにしてる。
上記はコンサル生に提供してる
ノウハウの一部なわけだが、
どんな人間であろうと、
絶対にこぼれ落ちないような
環境を僕は用意してるつもりだ。
裏垢、占い、インスタ、TikTokなど
流行りの稼ぎ方は一通り網羅しているし、
全て自分が実践して結果を出した
もののみを提供してるから再現性もある。
そして、
それらが合わなかったという人に
対しても別のマネタイズのやり方を
用意してるから全部ダメだった
ということはまずない。
というか、今の所、
80人ほどコンサル生がいるが、
そんな人は1人もいないから安心してほしい。
まぁ、かなり端折ったが大体、
こんな感じで、
タワマン住みの成金から
無一文のホームレスに転落し、
約2年ほどで復活を成し遂げることができた。
僕はウタ垢以外にも
収入源はたくさんあるので、
現在、すべての事業を
合わせると年商は5億ほど。
だが、
ネオヒルズ族の時にお金のみを追うと
どんな目に遭うのかということを
痛いほど思い知ったから、
いちいち大きな金額を出したりして
表で目立とうとは思わないし、
ここまで読んでくれる人に
だけ伝わればいいかなと思ってる。
ネオヒルズ族として情弱狩りをして
大金を稼いでいた頃、
知り合いは攫われてたりするし、
僕も囲まれて集団リンチを受けそうになった。
その場は先輩の経営者が
取り持ってくれたので、
なんとか事なきを得たが、
一歩間違えると、殺されて
海に沈められていたかもしれない。
その時の経験から人を不幸にする
ような稼ぎ方ではなく、
仲間を大事にし、
関わってくれた人たちを
何がなんでも幸せにするという
想いでビジネスをやるようになった。
おかげさまでコンサル生からの
評判はすこぶるいいし、
東京か大阪でたまにするオフ会でも
「ウタさんのおかげで人生が変わりました!」
とみんなに言ってもらえることが多くなった。
今はこのコンサル生の喜びが
一番の生き甲斐となっている。
Xではグレービジネスこそ至高!
みたいな「稼ぎやすさ」のみに
フォーカスしてる発信が
よく見受けられるが、
非常に危険だなと思う。
法の知識も大してない、
大学生上がりの人生を舐めた
クソガキたちが普通に一線を
超えている光景をよく見ると
昔の自分を見ているようで
少し懐かしくも感じる。
昔の僕もやっていたから
こそわかるんだが、
規模がデカくなればなるほど
逮捕リスクは上がるし、
その道で稼いだとしても
いずれ全てを失うことになるのは
目に見えてるから結局、長くは続かない。
そういった逮捕リスク何も考えずに、
バカのひとつ覚えみたいに
「楽稼ぎ」を助長してる
界隈の風潮は非常に危険だなと思う。
僕は稼ぐことは当たり前として、
その後の人生を一緒に楽しんでいく
仲間をこれから、
たくさん増やしていきたいと思ってる。
それが密かに僕が抱える野望。
お金のステージはあくまで通過点。
キャッシュポイントはこちらで
数えきれないくらい揃えてるし、
今後も更新型で増やしていくので、
さっさと稼いで、一緒に旅行したり、
仕事したりできる仲間に
なってくれたらなと心から思う。
そんな感じで、
稼ぎながら仲間を増やしていくために
僕はウタとして
これからも情報発信していく。
孤児院出身で幼い頃に抱えてた孤独が
今は周囲の仲間のおかげで薄れつつある。
今は本当に人生が楽しい。
僕についてきてくれる人たち、
いつもありがとう。
これから僕は人生を賭けて、
この環境を守っていくし、
僕の周りの人間を幸せにしていこうと思う。
最後まで読んでくれてありがとう。
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